「夢判断」のフロイト先生、教えて!
昨夜(ほとんど今朝ですが)、夢を見ました。
先日娘と息子が鎌倉に行って、その話を聞かされていたせいか、私は江ノ電のような電車に乗っていました。
一つの車両の大きさは江ノ電くらいなんですが、車両の数はもっと多いように思います。もちろん漠然とですが。
座席は向かい合わせになっています。通常、向かい合わせの座席というのは2人掛けのシートが向かい合っているのですが、夢の中のシートは4人掛けだったように思います。
まっ、この辺のことも曖昧ですヽ(^O^)ゝ
座っていた座席の近くに、幼稚園くらいの子どもたちが数人(たぶん2~3人)いて、考え事をしようとしていた私には、ちょっと邪魔だったので、近くの空いている席に移りました。
夢というのは、この辺が都合よくできているところなんですが、
私がパソコン2台(これがなぜかむき出しで電源コードも袋に入っているわけでもなくそのままなんです)とカバーに入れて2つ折りにしたスーツを持っていたので、それらを移動して座った向かい側の座席に置きました。
すいていたっていうことなんでしょうか?
ところがそこへ、移動する前に近くにいた子どもが1人やってきて、私の荷物の隣に座りました。
なんとなくパソコンに手をかけたり、スーツの端をお尻で踏んだりしているので、私としては気になって仕方がありません。
でもまあ、席を移る前に比べて、おとなしくしているので、気にはなりながらもそのままにしていました。
やっと私の下車する駅になり、「これで子どものことを気にしなくてすむようになるぞ」と下車しました。
そして、ホームで電車を見送りました。
そのときです!
「あっ、荷物がない!」
そう、電車の中に忘れたんです。
急いでタクシーを飛ばせば、次の駅で間に合うかも…
タクシーが駅に着いたときにはすでに電車はホームに入っており、今にも走り出しそう。
この駅は、線路と線路脇の道路の間に柵もなく、道路よりは高い位置にある線路まで駆け上がれば電車までたどり着けます。
積もった雪の中に突っ込むしかない。
ホームに駅員さんが立っているのが見えたので、
「おーい、おーい! 車内に忘れ物が~っ!」
と叫びながら、電車に近づくも、あと少しのところで発車してしまいました。
結局、忘れ物を取り返すことはできず、終着の駅に電話をしましたが、届いていないという返事。
買ったばかりの新しいスーツを失っただけでなく、会社の情報が入った私の2台のパソコンをなくしてしまい、私は失意のどん底へ。
物をなくしたというだけでなく、まるで人生そのものを失ったような気分。
これからどう会社を回していけばいいのか、全く見当もつかず、不安と絶望で身体が震えるばかりです。
そのときです!
鉄道会社から、
「お忘れになった物ですが、途中の駅で乗客の方が、駅に届けてくださっていました。お預かりしていますので、ご都合のよろしいときに身分証明書をご持参の上引き取りに来てください」
との電話が。
失意のどん底に、パーっと強い光が差し込んで…
はい、ここで夢は終わりです。
いったいこれは、どう判断すればいいのかなあ???
「江ノ電ぽい電車」は、息子と娘の鎌倉行き、
「うるさかったけれど途中からおとなしくなった子ども」は、同居している2人の孫が、いつも騒いでいて家では仕事ができないくらいだったんですが、先週の 水曜日からおおよそ1年の予定でトカラ列島(鹿児島県鹿児島郡十島村)の平島という離島に留学してしまいいなくなったこと、
「パソコンがなくなることでデータが手元から消えてしまった」のは、昨日の朝、事務のスタッフから「パソコンの電源が入りません」との電話があったこと、
「人生そのものを失った不安と絶望」は、会社の先行きへの不安(経営者はいつもそういう不安を抱いている)、
だいたいそんなことだと思います。
それをどう分析するかは、さらにそれを読み解いていかなければなりませんが、夢の内容には必ず伏線があるもの。
フロイトが、夢を研究する中で、夢の内容と精神状態とを関連付ける議論を展開しました。
フロイトは夢のに登場するものは、意識ではなく無意識に選択され記憶から引き出されるものであると考えました。一見、何の関係もなくつながりのないように 感じるものにおいても無意識に基づく関連性、統一性が備わっていて、一つの物語として連結させることができる。そしてそれには潜在的な願望を充足させるも のであると考えたのです。
自分の中にある無意識の自己表現とでも言いましょうか…
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